Adeyabeba Ethiopia Association

non profit association

マラソン選手が五輪で政府への抗議

9月 2, 2016 12:00午前 EDT

取材源:ヒューマン・ライツ・ウォッチ

土井香苗 、日本代表


リオデジャネイロ五輪最終日の8月21日、男子マラソンに出場したエチオピアの フェイサ・リレサ選手が、エチオピア最大の民族であるオロモ族を弾圧する自国政府への抗議を表すポーズでゴールし、銀メダルを獲得した。帰国すれば殺害や 投獄の危険があるとして、亡命の意向を示している。エチオピアでは8月6日から7日にかけ、少なくとも100人が政府の治安部隊に殺害される事件が起きた ばかりだった。昨年11月にオロモ族が住むオロミア州で政府の土地開発計画に対する抗議活動が始まったが、ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)調べで は、以来9カ月で死者は少なくとも500人、連邦警察・軍による拘束者は数万人に上る。犠牲者の多くはデモに参加した学生たちだ。リレサ選手の決死の抗議 の背景には、血の弾圧があるのだ。

抗議デモはおおむね、平和裏に行なわれてきた。しかし、政府治安部隊は警告もなくデモ参加者に実弾を発砲するなどの残虐な対応をとるようになった。 このため、同国での長年にわたる人権侵害や民族差別に対する抗議にデモは変質し、最近では抗議活動はアムハラ族の住むアムハラ州にも広がりをみせている。

HRWは昨年11月からの一連の弾圧について、エチオピア内外で125人以上から聞き取りなどをし、今年6月に調査報告書を 発表した。聞き取りに応えた、オロミア州のウォレガ地域に住むあるオロモ族のエチオピア人は、「住民が日常的に逮捕され、殺されている。この地域ではすべ ての家庭に、逮捕された子どもが少なくとも1人はいる。生まれてずっとこの土地に暮らしているが、これほど残虐な弾圧は見たことがない」と話した。逮捕者 への拷問も日常的に行なわれている。

エチオピアでは昨年の総選挙でも、野党やジャーナリスト、デモ参加者などへの大規模な弾圧が行なわれ、選挙の国際基準に遠く及ばなかった。以来、連邦議会、地方議会ともに議席のすべてを与党側が握る。独立したメディアやNGOに対しても無数の規制が敷かれている。

こうした人権状況に対し、国連のゼイド人権高等弁務官は8月10日、エチオピア政府によるオロミア州、アムハラ州での過剰な有形力行使の問題につい て、国際調査を提案し、エチオピア政府と受入れ協議を開始したと述べた。これまで「だんまり」を続けてきた米国、英国、日本などエチオピアの安全保障・開 発協力上の友好国・資金援助国は、この提案を強く支持し、国際調査を実現すべきだ。

エチオピア:抗議集会の弾圧で数百人規模の犠牲

6月 16, 2016 12:00午前 EDT

取材源:ヒューマン・ライツ・ウォッチ


不当に拘禁された人びとの釈放と独立調査が求められている


(ナイロビ)— エチオピアのオロミア州 における抗議運動で、治安部隊が2015年11月以来400人超のデモ参加者等を殺害し、数万人を逮捕している、とヒューマン・ライツ・ウォッチは本日発 表の報告書内で述べた。エチオピア政府は、殺害や恣意的逮捕をはじめとする人権侵害について、信頼できる独立した捜査を速やかに支援すべきだ。

報告書「残酷な弾圧:エチオピアのオロモ民族による抗議運動に殺害と逮捕で応える政府」 (全61ページ)は、エチオピア政府による過剰で不必要かつ致命的な武力行使、大量逮捕、拘禁下の虐待、抗議運動を鎮圧するための情報へのアクセス制限を 詳述したもの。本報告書の調査では、エチオピア国内外で125人超のデモ参加者や目撃者、被害者に聞き取りを実施。抗議運動が始まった2015年11月か ら2016年5月までに、デモ参加者などが治安部隊によって表現の自由や平和的な集会の自由を大きく侵害されたケースを調査・検証した。ヒューマン・ライツ・ウォッチのアフリカ局局長代理レスリー・レフコウは、 「エチオピア治安部隊は、学生や農民をはじめとする平和的なデモの参加者数百人に発砲し、人命を露骨に軽視して殺害した」と指摘する。「政府は不当な逮捕 で拘禁している人びとをただちに釈放し、信頼性が高くかつ独立した捜査を支援して、人権侵害を犯した治安部隊員の責任を問うべきだ。」明細はこちらへクリックして。

エチオピア:激減するメディア

1月 22, 2015 12:00午前 EST

取材源:ヒューマン・ライツ・ウォッチ


5月総選挙前に法改正と政策見直しを


(ナイロビ)エチオピア政府は独立メディアをしらみつぶしに弾圧している。2015年5月の総選挙を前に、言論の自由は風前の灯火だと、ヒューマ ン・ライツ・ウォッチは本日発表の報告書で述べた。昨年2014年、政府の嫌がらせで民間定期刊行物6誌が廃刊となり、少なくとも22人のジャーナリス ト、ブロガー、編集者が刑事事件で起訴された。またジャーナリスト30人以上が抑圧的な法律による逮捕を恐れて、国外に脱出した。

今回の報告書「ジャーナリズムは犯罪ではない:エチオピアでの報道の自由の侵害」 (全76頁)は、エチオピア政府による独立メディア抑圧の動きを、2010年以降について詳しく明らかにした。ヒューマン・ライツ・ウォッチは2013年 5月から2014年12月にかけて70人以上の現役・元ジャーナリストに話を聞き、政府のジャーナリストに迫害のパターンを明らかにした。現在ジャーナリ スト19人が言論の自由の権利を行使したことで投獄されている。2010年以降に亡命を余儀なくされたジャーナリストは少なくとも60人に上る。明細はこちらへクリックして。

エチオピア:政治犯が不当に拷問される

   エチオピア強制移住させられる先住民  サトウキビ農場計画で

警察が自白を得るためにジャーナリストや野党政治家を虐待


取材源:ヒューマン・ライツ・ウォッチ


(ナイロビ)-エチオピア政府当局が首都アジスアベバの拘留施設で、政治犯に拷問その他の虐待を加えている、とヒューマン・ライツ・ウォッチは本日公表し た報告書で述べた。エチオピア政府は、通称マエケラウィとして知られる連邦警察犯罪捜査部における不法行為を抑えるための緊急措置を取ると共に、人権侵害 疑惑を公平に捜査し、その張本人の責任を追及しなければならない。

の報告書「彼らは自供を望む:エチオピアのマエケラウィ拘禁施設での拷問と虐待」 (全70ページ)は、2010年以降、劣悪な拘留環境のマエケラウィで、重大な人権侵害と不法な尋問手法が行われている実態を取りまとめている。マエケラ ウィで拘留されている人々は、多数の野党政治家・ジャーナリスト・デモ主催者・民族反乱を支援したと疑われた者など。ヒューマン・ライツ・ウォッチは35 人以上の元マエケラウィ被拘留者とその家族から聞取り調査を行った。当局者が情報や自白を引き出すために、被拘留者の基本的なニーズさえ認めず、拷問その 他の虐待を加え、弁護士や親族と連絡を取ることも許さないでいる実態が、聞き取り調査からはっきりしてきた。明細はこちらへクリックして。

政府は先住民らと協議し補償を

20120618

ナイロビ)-エチオピア政府は、国営砂糖キビ農場計画のために、適切な協議や補償もしないまま、オモ川下流域の先住民族畜産農業コミュニティを強制移住させている、とヒューマン・ライツ・ウォッチは本日公表した報告書で述べた。報告書には、政府が以前公表しなかった地図が掲載されており、そこには灌漑用水路、砂糖精製工場、10万ヘクタールに及ぶ他の商業的農業用地など、オモ川流域の広大な開発計画が示されている。詳細はここをクリックして下さい。

        エチオピア:海外からの支援弾圧を助長

 開発援助プログラムの再検討と、援助資金用途の監視を

October 19, 2010

(ロンドン)-ヒューマン・ライツ・ウォッチは本日発表の報告書で、エチオピア政府は海外からの開発援助を悪用して政府批判を封じ込めている、と述べた。与党支持を主要な政府プログラム参加の条件とすることで、エチオピア政府は、海外からの援助を野党支持者抑圧の道具としている。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、海外からの援助が「説明責任(アカウンタビリティ)と透明性を備えた方法で行われること、政治弾圧を助長しないこと」を確保するよう、関連援助国政府や機関に強く求めた。詳細はここをクリックしてください

    ヒューマン・ライツウォッチが人権活動家6人を勇気を表彰

 October 4, 2010

(ニューヨーク) たゆまぬ活動を続ける勇敢な人権活動家6人に対し、名誉ある「アリソン・デフォージュ人権活動家賞 」を授与する、と本日ヒューマン・ライツ・ウォッチは発表した。 この6人は、暴力、差別、抑圧のない世界を創るために、 暴力や投獄といったすさまじい脅威に屈せず言論活動を続けてきた。

この賞はアリソン・デフォージュ博士にちなんで命名された。博士は約20年にわたってヒューマン・ライツ・ウォッチのアフリカ局のシニア・アドヴァイザーを務めていたが、2009年2月12日にニューヨークでの飛行機事故により非業の死を遂げた。デフォージュ博士はルワンダの人権状況、そして同国でおきた1994年の大虐殺およびその後の情勢に関する世界的な権威だった。ヒューマン・ライツ・ウォッチが毎年授与するこの賞は、博士が行った人権問題と人権擁護活動への傑出的な関与に敬意を表し、命をかけて人間の尊厳と権利の保護に奮闘した個人の勇気を称える。詳細はここをクリックしてください

          2010年日本フェスティバル - エチオピア

エチオピアで行っている日本の2010年フェスティバルをこちらへご覧下さい。

                                              コーヒー物語

昔々、エチオピアの中央高原地帯の小さな村に、カーリッドという名のヤギ飼いがおりまして、近くの森でヤギの群れの番をしていました。  その時、カーリッドはヤギの群れの1頭が突然珍しい動きをしだしたのに気づきました。そのヤギはある特別の植物からたくさんの赤い果実を食べ、はしゃいだり走り出したりしたのです。

カーリッドはとても驚き、村の知識人なら何か果実に隠された秘密が分かるかもしれないと思い、果実をいくつか採って見せました。カーリッドが最初に会ったのは、全人生を祈りに捧げている修道院の修道士でした。カーリッドの話を聞いて、修道士は、これは悪魔の仕業だと言って果実を火に投げ入れました。しかし、果実が燃え始めたとき独特な香りに包まれました。修道士は独特な天にものぼるような香りに驚き、どんな味がするのか知りたくなりました。焼かれた果実を味わってみると、修道士はその夜一睡もせず、活力がみなぎり注意深くお祈りができました。

その日以来、その赤い果実の魔法の覚醒力は、すべての村、地域および世界中の国々へと広がりました。カーリッドという名前の男の子によって最初に発見されたカーファー州の名にちなんで、後にその赤い果実はコーヒーと名付けられました。そして今でもカーファー州はエチオピアのもっとも上質なコーヒー生産地域の中の一つとしてその名を残しています。歴史的に見て、コーヒーはカーファー州からアラビア経由でヨーロッパ、アジアおよびラテンアメリカへ広まりホットドリンクの飲料業界を独占しました。

 緑茶が日本で使用されるように、エチオピアでは、コーヒーでお客さんをもてなします。さらに、エチオピアではコーヒーを一緒に飲むことにより近隣関係の結びつきや社会的な相互作用を強化する手段にもなっています。 エチオピアのほとんどの女性は主婦で、家でコーヒーを振舞い友人の輪を広げ、うわさ話に花を咲かせています。

 日本のお茶会のように、エチオピアでもコーヒーに正式な儀式があります。飾りのついた円いコーヒーカップ「シーニ」は「ラカボット」として知られているトレイのような小さいテーブルに並べられます。ラカボットのまわりに、みどりの芝生とばらの花びらを広げます。

よく洗った緑のコーヒー豆は平らなフライパンで焙煎されます。煎りながらお客さんの前でフライパンを振るのでそのアロマが充満します。それから煎られたコーヒーは木製のうすに入れられ粗い粉になります。

挽いたコーヒーは「ジェべナー」という特別な粘土で作られたやかんに入れて沸かします。  数分後にコーヒーはジェべナーからコーヒーカップに注がれて準備完了です。ポップコーンなどの軽いお菓子をコーヒーと一緒にだします。コーヒーを振舞う女性は、伝統的な白いエチオピアの服を着ます。コーヒーを振舞うとき、その焙煎された香りにより、部屋はお祝いの雰囲気となります。 

伝統的に、エチオピアのコーヒーは3段階で振舞われます。一回目はアボールと呼ばれるエスプレッソのような濃いコーヒー、次にトーナーというブレンドのようなコーヒー、最後にバラカーというアメリカンよりうすいコーヒーが振舞われコーヒーセレモニーは終了です。

もうお分かりだと思いますが、コーヒーという名前はそれが最初に発見されたカーファー州から由来し、発見者はカーリッドというエチオピアの若いヤギ飼でした。コーヒーはエチオピアから世界への贈り物です。

 By Abyssinia Jackal

                                            丁髷国への旅

来日した時の事を思い出せば、私の国はとても遠いので、スペースシャトルに乗って月旅行をしたような感覚でした。 新天地への思いにわくわくしながら、バンコクで乗り継ぎに5時間かかり合計20 時間かかって日本に着きました。幸運にも、日本についた時は暖かい春で桜が咲いていて、人々は花見を楽しんでいました。その時のエチオピアの季節はとても暑く乾燥しているので、日本のすばらしい季節に感動しました。

 そんな雰囲気を楽しんでいる時、二つの事に気づいて驚きました。一つは、エチオピアに居る時、時代劇映画やテレビなどで見た日本人の格好が全く違いました。女性は着物で男性は刀を持ち丁髷をしていると思っていたのに、そんな人は一人もいませんでした。

もう一つは、たしか、私がエチオピアを出たのは1988 年4 月12 日だったのに、24時間後、日本では1996 年4 月20 日になっていたのです。一瞬にして8歳年を取ったと思ったら大変ショックを受けました。

 その原因に基づいて、これからカレンダーの歴史について少しお話します。紀元前46年にローマのジュリアス・シーザーは1年を365 日と6 時間という計算を報告しました。現在、世界中で使用しているカレンダーはイエス・キリストの誕生日と関連していますが、このカレンダーは実際に二回変更されたことを皆さんはご存知でしょうか。

 一回目の変更として、紀元532 年に、はっきり分からない理由で、ローマの修道士ディオニシウスはジュリアンカレンダーに8年を加えて540年にしました。エチオピアでは、紀元532年まで同じカレンダーを使用しましたが、ディオニシウスのカレンダーでは、イエス・キリストの実際の誕生日や歴史的な出来事が8年異なるから反対しました。

 二回目の変更は、1582 年にローマ教皇、グレゴリウス13世 は正確に計算すると1年は365 日と5 時間48 分46 秒だとグレゴリオカレンダーを作成しました。ディオニシウスが変更した時間から未使用の11 分14 秒を計算し、1582 年10 月5 日に10 日を加算して1582 年10 月15 日にしました。従ってエチオピアのカレンダーは月によって8日から11 日の相違があります。

 世界にはさまざまなカレンダーがあります。例えば、今年日本では2009 年、イランでは1388 年、中国では4706 年、イスラム教では1430 年ですが、私の国エチオピアでは2001 年です。去年エチオピアでは9月11日にミレニアムをお祝いしました。私は日本に来て、二回ミレニアムをお祝いできたのでとても幸せです。

 私は日本に来て8歳年取ったと気後れしていましたが、エチオピアに一回帰れば元に戻れるのでもう何も心配していません。皆さんも8歳若返りたいならエチオピアにご招待しましょう。

By: Abyssinia Jackal

                  復活祭フレンドシップパーティー(原宿)